教師の役割と専門性

私が日本語教師をして9年目になります。9年目がいいとかではなく、9年目でやっと教師としての位置というか、役割、専門性というものが見えてきた気がします。今までも学生のために120%で教えてきました。しかし、大学院に入り、自身の教師の「専門性」を考えるようになりました。教師として何ができるのかを日々考えています。


専門性の定義は様々ですが、最近久々にグッときた言葉があります。それを皆さんと共有したく、ブログに書き込んでいます。このような場から、日本語教師だけではなく、教育に携わっている方々との繋がりが持てれば多幸だと思っています。


日本の言語学者でありながれら、慶應義塾大学の大学の名誉教授であります「鈴木孝夫」先生お言葉を聞き、教師の一つの専門性を見出すことができました。


教師は、言葉を教えることは言うまでもないですが、「教師」、「指導者」という言葉を教えるというよりも、「学生を正しい道に導くために正しいことを教える「教導者」ではなくてはならない。」と鈴木先生は仰っていました。それが、私の今までの教師生活で培ってきた経験を重なる部分が大いにあり、感銘を受けました。
どれだけ学習者を正しい道へと導いてあげるかが教室に求められる資質であり、専門性であるのではないでしょうか。


日本語学校では、留学生の数がどんどん多くなってきています。また、就職のため、日本語で働くためと、どこでもいいから大学、専門学校に入りたいという留学生が大多数を占めています。もちろん、留学生が自分の行きたい道があれば、教導者は支援をしていきたいが、しっかりと留学生と真正面にぶつかり、将来を考えていく者が学校には必要だと思っています。何でも「いいよ、いいよ」ではなく、しっかりとその個々人の将来性を引き出し、考えていき、正しい道へと向かせてあげる教師が必要だと思います。


まさに今の教育現場には「教導者」が必要なのです。